2011年12月29日木曜日

Mr.Natural BEE GEES

さて、次は僕の一番好きなアルバム”Mr.Natural”である。
BEE GEES史上最も売れなかったアルバムだが、僕はこれが彼らの最高傑作だと思っている。
このアルバムのすべてが好きだ。ジャケットのおじさんもいいし・・・何から書こうか迷うところだが、一番好きな曲はタイトル曲の”Mr.Natural”。軽快でちょっととぼけた味のカントリータッチのR&B。出だしのロビンのボーカルも絶妙だ。他にも1969年にP.P.Arnordのために”Bury Me Down By The River”とともに書かれた”Give a Hand,Take a Hand”や、バリーお得意の黒っぽいボーカルが聴ける”Lost in Your Love”など、全体的にR&B的な雰囲気に満たされたアルバムだ。
さらに、このアルバムの特徴はR&Bだけではない。カーペンターズみたいなキーボードが美しい”Throw a Penny”や、ロビンの声が美しく真夜中の片田舎の教会が浮かんでくるような”Voices”、そして極めつけは途中から意外な展開をしていく”Dogs”・・・などなど、名曲が目白押しである。
普通の状況であればプラチナ・ディスクを記録してもおかしくない名作。これが全く売れなかった事には納得のいかないものを感じる。と言っても僕も当時このアルバムを知らなかったわけだが・・・

Trafalgar BEE GEES

昨日、今日と暇があるので、一気に行ってしまおう。
次はTrafalgar。
69年、Odessaの後、ロビン脱退により一時的に分裂状態に追い込まれたBEEGEESだが、70年にロビンが戻り再スタート。71年にリリースされたのがこのTrafalgar。僕の一番好きなBEEGEESはFirstからOdessaまでと74~75年のアリフマーディン時代の2時期なので、このアルバムはそれからははみ出しているのだが、例外的に好きなアルバム。
この時期のBEEGEESはサウンドがおとなしすぎて物足りない感じの曲が多いのだが、このアルバムは一見おとなしく見えて良く聴いてみると一味違う。
世間一般ではTrafalgarは大ヒット曲「傷心の日々」を含むアルバムという説明がなされているが、その捕らえ方だけはしないほうが良い。このアルバムを理解したければまず2曲目の”Israel”を聴くのがいいと思う。バリーのボーカルが凄い!100%R&Bシンガーと化している。が、バックには優雅なストリングスが流れ続けている。このコンビネーションがすばらしい。”Don't Wanna Live Inside Myself”にも同様のことがいえる。バリーのR&B趣味全開のアルバムである。
ロビンが高音の限界に挑戦している?”Lion In Winter”も別の意味でR&Bっぽい曲といえる。
全体的にはこの時期らしいおとなしめのサウンドなのでちょっと気づきにくいかもしれないが、後の”Mr.Natural”につながるR&B路線が見え隠れする興味深いアルバムである。

2011年12月28日水曜日

Odessa BEE GEES

続いてはOdessa。BEE GEESの最高傑作という人も多いアルバム。彼らの中では珍しい2枚組トータルアルバムだが、彼ら自身も言うようにトータルアルバムといえるかどうかは難しいところである。
が、どちらにせよ傑作という点は変わりない。当時ビートルズの「サージェント・ペパーズ」が世界に衝撃を与えた結果、様々なバンドがそのアンサーアルバムのような物を出していたが、Odessaも制作動機的にはある意味その種のアルバムと言えるかもしれない。が、彼らの凄いところはビートルズの物真似ではなく、むしろビートルズとは対極のサウンドでアンサーしているという点である。つまりビートルズが特殊効果などを駆使しながら音を重ねることでひとつの世界を構築していったのに対して、ビージーズはあくまでアコースティックな手法で世界を構築しながら、様々な実験を試みている。
このアルバムにはポピュラーミュージックのスタンダードといってもいい名曲「若葉の頃」や「小さな恋のメロディ」でおなじみの「メロディーフェア」が収録されているが、それ以外にも壮大なタイトルナンバー「オデッサ」やカントリーロック調の「Marley Part Drive」、ラストのジャズっぽい感じがいい「Sound Of Love」やロビン調バラード「Lamplight」など様々なタイプの曲がはいっていて飽きさせない。
このアルバムの凄いところは、広い音楽性を感じさせながら統一感もあるという点。全体的に優雅な感じに満ち溢れている。ロックっぽい曲でも間奏に弦楽器や管楽器の印象的なフレーズが必ずはいっていて、彼ららしさを感じさせる。

Idea BEE GEES


最近あまりビージーズについて書いていなかったので、ニューヨーク炭鉱通信じゃなくなってしまうと困るので、そろそろビージーズの好きなアルバムとか好きな曲について書いていこうかなと思う。
Firstについては前に書いたので、年代順に好きなアルバムを紹介していこう。
まずはひとつおいて3rdアルバムのIdeaから。これ実を言うと最初に聴いたときはあまりぴんとこなかった。出だしがあまりにも地味だったから。1stのようなきらびやかなものを期待していたので・・・

ただ、後ろのほうにいい曲が並んでいるなという印象はあった。出だしに派手な曲を置くという世の中の常識にあまりにも慣れすぎていたために、彼らのこの感覚が理解できなかった。でもこれがビージーズなんだろうと思う。
まあ、今でも後ろの方の曲が好きなことに変わりはないのだが・・・特に好きな曲は「つばめ飛ぶ頃」。美しいメロディーにのせてバリーが黒っぽいボーカルを聴かせてくれるというたまにしか出てこない?彼らの最強パターンの曲。もちろんロビンの代表曲「ジョーク」も素晴らしいし、ボサノバ調の「キルバーンタワーズ」や、ロビンのバックコーラスが加橋かつみを思い出させる(笑)「スワンソング」など名曲がずっと続く。
僕が買った電球盤には「獄中の手紙」がはいっていなかったが、アルバムの統一感から言うと、こちらが正統盤と言えそうだ。

2011年12月17日土曜日

GrayGhost Barry Gibb

Barry Gibbが新曲を出した!!
さっそくバリーのサイトでダウンロード購入した。
そのうちの一曲、GrayGhost を聴いてびっくり!
シタールの音がはいっている!!
なんか幽玄なこの雰囲気!
ここのところ60年代のブリティッシュサイケをよく聴いていたのだが、その中のフォーク系のものに近い雰囲気だ。この時代にバリーのこういう曲が聴けるとは全く予想外だった。
このぶんだとバリーはこの先まだまだたくさんの素晴らしい曲をプレゼントしてくれそうだ。

2011年9月12日月曜日

「ムー一族」の元ネタ?

最近、Youtubeでブリティッシュサイケを聴きまくっているのだが、色々と面白い発見がある。
中でも一番の発見は
Elmer Gantry's Velvet Opera -Air (1968)
という曲。シタールが全面的に入ったインド音楽風サイケだが、ここまで徹している曲も珍しい。
ところでこの曲の1:35 あたりからのシタールのメロディーにどこかで聞き覚えがあると思ってよく考えてみたら、「ムー一族」の主題歌と似ていることに気づいた。パクリだとしても「そんな曲よく知ってたなあ」と感心されるレベル。

おまけに自分の作った曲の元ネタ?まで発見してしまった。
Crocheted Doughnut Ring - Happy Castle(1968)
という曲のイントロに銅鑼の音がゴーンと鳴るのだが、これが20年近く前に僕の作った

という曲の出だしと同じである。もちろんパクリではなく偶然の一致だが・・・初めて聴いたときは、何かの間違いで自分の曲が流れてきたのかと思ってしまった。大昔、自分と同じような感覚の人がいたというのは何か嬉しいような気がする。

そういえばBEEGEESにもDeeply,Deeply Me なんていう奇妙なインド風の曲がある。サイケって本当に面白い。

2011年8月29日月曜日

BEEGEES 1st

60年代の話が出たところで、BEEGEESに戻って、一番好きな初期のBEEGEESの話をしよう。
前回書いたように60年代後半はどのアーティストもサイケの洗礼を受けていたわけだが、このBEEGEES1st もそのひとつと見ていいのではないだろうか?むしろ Beatles が始めた管弦楽器の導入などをさらに強調し発展させたものという気がする。特に Bill Shepherd などによる Beatles 以上に過剰なストリングスアレンジが独特のイメージを与えている。
特に"Red Chair Fade Away","Cucumber Castle" などの曲ではその優雅な雰囲気がなんともいえない。また、Beatles (特にエリナリグビー)の影響が強く感じられるデビュー曲 "New York Mining Disaster 1941"(「ニューヨーク炭鉱の悲劇」)もその独特な詞の世界は彼らならではである。(このタイトル凄いと思う)彼らのユーモア感覚が感じられる "Craise Finton Kirk Royal Academy Of Arts" も面白い。
一方で Beatles とは違う魅力が感じられるのは、第2弾シングル "To Love Somebody" 。この曲はジャニス・ジョプリンをはじめ世界中のアーティストにカバーされている R&B の名曲である。実はこの曲をきっかけに R&B というジャンルに興味を持ったぐらいなのだが、BEEGEESの主流を占める美しさを強調した曲とは別の味わいがあり、この辺りがBEEGEESは只者じゃないと思わせる部分である。
全体的には Beatles の影響が強いアルバムだが、個人的には "Revolver" より好きだ。Beatles の中の僕の好きな部分だけを抽出したようなアルバムだからだ。

2011年8月28日日曜日

"Paper Sun" Traffic

好きな音楽はと聞かれると、60年代サイケと答えることが多い。Beatlesのサージェント・ペパーあたりから始まった美しくもあり難解でもあるきらびやかな世界が単純に好きだ。特にチェロ、フルート、オーボエ、ハープシコードといったクラシックの楽器やシタールなどを過剰に取り入れた曲が好きだ。この時期のポップミュージックは多かれ少なかれサイケの洗礼を受けているわけだが、Traffic の"Mr.Fantasy"もそのひとつである。
で、今日はなんとなくTraffic を聴き続けてしまった。アルバム曲ではなく、シングルの2曲"Hole In My Shoe" と "Paper Sun" を・・・
"Hole In My Shoe" は以前から良く知っていたが、 "Paper Sun" の良さに気づいたのはつい最近のこと。完全にあっちの世界に行ってしまってる"Hole In My Shoe" と違って、"Paper Sun" は通常のバンドサウンドとサイケが適度に混ざったサウンドで、詞も日常を舞台にしながら非日常を描くというなかなか深い曲だ。

2011年8月27日土曜日

"Blackberry Way" MOVE

この辺でBEEGGEES以外の話を。今回はBEEGEESと並んで好きなMOVEというバンドについて。というのもここ数日MOVEばかり聴いているので・・・
MOVEは60年代後半のイギリスを代表する人気グループのひとつなのだが、日本では驚くほど知られていない。
僕がMOVEを知ったきっかけは80年代頃だと思うがNHKFMで放送された「ブリティッシュロックの歴史」という番組。それはある1年例えば1969年にイギリスでヒットした曲をひたすら流すというだけの番組だった。その中で一番気に入った曲が”BlackberryWay”だった。曲名等を流さない番組だったので、イギリスのヒットチャート本で調べてやっとMOVEというバンドの曲だとわかったのだが、「MOVEってどこかで聞いたことあるぞ」と思って考えてみたら、驚いたことに当時僕が一番よく聴いていたELOの前身バンドだったのだ。
このMOVEにはジェフ・リンも末期に在籍しているのだが、何と言ってもMOVEといえば大天才ロイ・ウッドのバンドである。僕はレノン&マッカートニー以外で天才的なメロディーメーカーといえばギブ兄弟、ロイ・ウッド、ジェフ・リンだと思っているのだが、そのうち二人が一時的にせよ在籍していた凄いバンドがMOVEである。とは言ってもこの二人、レノン&マッカートニーほどの相乗効果はなかったようで、ジェフ・リン在籍時のMOVEはあまりぱっとしない。
で、僕が一番好きな曲はジェフ・リン在籍以前の1968年の全英NO1ヒット”BlackberryWay”である。MOVEの中では最も親しみやすいメロディーの曲で、そのため一部のメンバーには不評だったらしいが、僕はこのぐらいの適度にわかりやすいがちょっぴりサイケな曲が好きである。
もう一曲、次のシングル"Curly"も大好きな曲だ。こちらはリコーダーの音と「ビダンビダン(be done)」という松田聖子の某曲のような歌詞がすごく可愛らしい?名曲である。

2011年8月10日水曜日

表現の自由ということ

またまた湯川さんネタで申し訳ないが、どうも湯川さんのビージーズに対する評価は、かなり適切なようなので、どうしてもそうなってしまう。
80年代のこと、全米トップ40の特集番組で、アメリカのDJが選ぶ「影響を受けたアーティストTOP40」というのをやったことがある。僕もビージーズが何位にはいっているか興味があったので、夜遅くまで聴いていたのだが、第2位まで発表されてもビージーズが出てこないので、「もしかして1位?」と大いに期待したのだが、驚いたことに1位はビージーズではなかった。つまりTOP40に選ばれていなかったわけである。これにははっきり言って仰天したわけだが、そのとき湯川さんが、
「◯◯のような箸にも棒にもかからないのが上位に選ばれていて、ビージーズがはいっていないのはおかしいですねえ」
と発言した。やはり音楽のわかる人の感覚はそうなのである。
このときはその背景を全く知らなかったので、僕も湯川さんもこの結果に仰天したわけだが、後に知った情報によると、この時期アメリカのDJの間ではビージーズは意味不明に嫌われていて、ビージーズが新曲を出してもビージーズというだけで彼らはいっさい流さなかったそうである。その証拠にあの名曲”You Win Again"がアメリカでは全く売れていない。
これ文明国の話でしょうか?アメリカは自由の国と言われているけど、本当は表現の自由なんて全然ない閉鎖的な国だということでしょうか?それとも単に当時のアメリカのDJが低レベルだっただけ?

「リビングアイズ」について思うこと

もうひとつの問題作は「リビングアイズ」である。といっても内容についてではなく、その発表時期についてである。このアルバムが発表されたのは1981年、前作「失われた愛の世界」から2年9ヶ月を経ていた。このことがビージーズの大失速につながったと思っている。
「サタデーナイトフィーバー」があまりに売れてしまったため、世間ではビージーズ=ディスコミュージックという図式が出来上がってしまった。(世間の大部分は音楽の全くわからない連中なので・・・)おそらくその
風評被害?
から抜けるために発表されたのが、このアルバムだろうと思うのだが、だったら前作の1年後ぐらいに出して欲しかった。(無理な注文ですが・・・)このアルバムの発表時にはすでにディスコバッシングなる動きがアメリカでは起こっていて、その真ただ中でこのようなアルバムを発表しても誰も聞く耳を持たなかったというわけである。この辺が彼らの(生き方という意味で)不器用なところで、完全な後出しジャンケンになってしまっている(しかも負け)。ビートルズだったら先手を打ってバッシングが起こる前に出しているところである。
アルバム自体は彼らの傑作といえるもので、特にモーリスの最高傑作「ワイルドフラワー」や、幻想的な雰囲気の「パラダイス」「ソルジャーズ」など素晴らしい作品の宝庫である。それだけに惜しい。

ビージーズよどこへ行く?

ビージーズについて何から書こうか迷うところだが、まずは最初に書いた
「ビージーズはなぜ万人に評価されるアーティストになれなかったか?なぜ誤解され続けているのか?」
について書きたい。
前稿でビージーズの思い出話を書いたが、実は本稿の長い前振りである。
「メインコース」の1年後発売された彼らの待望のアルバムは「チルドレンオブザワールド」だった。実はこのアルバムが問題作だったのではないかと思っている。僕の期待した方向とは全く別の方向性だったからである。そこにはダンスミュージックがずらっと並んでいて、かつてのビージーズとは全く異なる部分が強調されていたのである。
「全米トップ40」でこのアルバムの特集をしたとき、湯川さんは
「ビージーズよどこへ行く?」
と発言したのだが、それはそのときの僕の気持ちを代弁してくれたものだった。

1年数カ月後、あの「サタデーナイトフィーバー」旋風が巻き起こるわけだが、果たしてそれは彼らにとって幸運だったのか不幸だったのか、今となっては僕にもわからない。

ビージーズの思い出

初期のビージーズが一番好きなのだが、話の流れ的にその後の時代から始めたいと思う。
ビージーズに関して個人的に一番の思い出というと、1975年奇跡のカンバックである。それ以前、小学生の頃に初期のビージーズをよく聴いていたのだが、子供の頃の音楽の聴き方なんていい加減なもので、ラジオから流れなくなってしまうと、簡単に忘れさってしまうものである。そんなわけで1972~1974年の間、ビージーズのことを完全に忘れて暮らしていた。その頃何を聴いていたかというと朝から晩までアイドルから演歌に至るまで歌謡曲を聴きまくっていた。その僕が再び洋楽を聴き始めるきっかけになったのが、ビージーズのカンバックだった。
それは兄に連れられて御茶ノ水のジローという喫茶店に行ったときのことだった。ふと近くに置かれていたスポーツ新聞を見ていると、そこにビルボードのチャートが載っていて、なんとビージーズの「ジャイブトーキン」が1位になっていたのだった。一瞬、何かの間違いなのではないかと思ったほどである。この曲、それまでに一度だけ湯川れい子さんのラジオ番組で聴いたことがあったのだが、そのときは、「ビージーズまだやってたんだ。でも何か変な曲だなあ」としか思わなかったので、まさかヒットするとは思っていなかったのだ。
数カ月後、ラジオの都倉俊一の番組でアルバム「メインコース」の特集があり、それを聴いてみた。そこで知ったのが、「ブロードウェイの夜」と「ファニー」だった。昔のビージーズの要素もいくらか含んだこれらの曲を聴いて、ようやく彼らの新しいサウンドを理解した。それで本当に彼らがカンバックしたのかどうか確認するために聴いたのが、やはり湯川れい子さんの「全米トップ40」という番組だった。ちょうどそのとき「ブロードウェイの夜」が第7位にランクされていて、ようやく彼らが本当にカンバックしたことを信じることができたのだった。それ以後、この番組を数年間聴き続けることになる。
この時がビージーズが一番輝いていた瞬間だと思う。同時に僕自身も彼らの音楽を一番楽しんで聴いていた時期である。

ビージーズ関連のブログを始めました

昨年から、もはや日本の伝統芸能と化してしまった歌謡曲についての思い出を中心にした「ひとから聞いた話だけれど・・・」というブログを始めているが、洋楽特にビージーズについては書くことがあり過ぎて分離したほうがいいかなと思い、2つ目のブログを始めることにした。
ビージーズについては一度きちんとした形でその評価や意見をまとめておかなければという気持ちを強く持っている。というのも彼らほど浮き沈みが激しく、またあるときは過大評価され、あるときは極端に過小評価されてきたアーティストも珍しいからだ。正直、僕自身も彼らをどう評価していいかわからない部分がある。ただひとつだけはっきり言えることは、80年代以降の彼らの評価はあきらかに不当なものだということだ。あれだけ数々の名曲を作り売上げを残しながら、どうしてビートルズのように万人に愛され評価されるアーティストになれなかったのか?なぜ誤解され続けているのか?その辺を特に考えていきたいと思う。
とにかく、小学生の頃からのビージーズファンとして、あるときは思い出話を、またあるときはファンにあるまじき?辛口コメントを交えながら語っていきたいと思う。
ビージーズ以外についてもときどき取り上げていくつもりである。